【ゼロから学ぶ西洋建築史】古代オリエントを解説

ゼロから学ぶ西洋建築史

【はじめに】

この記事を読めば古代オリエントの建築は完璧!
この記事ではこの記事では古代オリエントの歴史の流れと用語ををバビロニア、ヒッタイト、アッシリア、新バビロニア、ペルシャに分けてわかりやすく解説しています。この記事が読み終わる頃には歴史の流れと用語の説明ができるようになり、マニアックな知識も自然とついていると思いますのでぜひ最後までご覧ください!

古代西アジア

古代オリエントとは?

古代オリエントは現在の西アジアにあたる地域ではチグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア,イラン高原,アルメニア地方,アナトリア地方,シリア・パレスチナ地方などから成り、非常に広大な地域です。

しかし、ほとんどの地域で石材に恵まれず、煉瓦と木造の建築物が多かったので現在まで残っている建築物は少なくなっています。

古代オリエントはエジプトと同じく、最も古くから高度な都市を発展させていました。

オリエントとは東という意味で、西アジアはヨーロッパからみると東に位置しているのでそのように呼ばれています。

古代オリエントの建築文化は古い順に、メソポタミア地方南部のバビロニア,アナトリア地方のヒッタイト,メソポタミア地方北部のアッシリア,新バビロニア,ペルシャがあります。

バビロニアとは?

バビロニアとはメソポタミア地方南部で栄えた都市国家です。

紀元前3500年頃にはすでに都市国家があったとされています。

建築物は基本的に日干し煉瓦の壁とヴォールトによって構成されていました。

この地域の神殿は四角錐台の上に小さな四角錐台を何段も重ねて高くした基壇の上に置かれました。

この基壇を「高いところ」を意味するジッラトと呼びます。

有名な神殿にハファジャの楕円形神殿があります。これは紀元前2700年頃に建てられたものです。

実際に調べると本当に楕円形をしているのでぜひ調べてみてください。

有名なジッグラトにウルのジッグラトがあります。

ウルのジッグラト

これはウル第3王朝の時代(紀元前2100年頃)に建てられたものです。

現在は世界遺産に登録されています。

ヒッタイトとは?

ヒッタイトとはアナトリア地方で栄えた地域です。

この地域では西アジアでも珍しく石材が豊富にあった地域です。

この地域では紀元前14世紀から13世紀にかけて建てられた都市遺跡が見つかっています。

都市遺跡の石門が現在部分的に残っており、構造は持送りアーチ構造となっています。

持送りアーチ構造

アッシリアとは?

アッシリアとはメソポタミア地方北部で栄えた地域です。

アッシリアにはニネヴェ,アッシュール,コルサバードなどの都市遺跡があります。

これらの都市では彩釉煉瓦が用いられ、壁面には高度な浮彫がされていました。

彩釉煉瓦とは釉薬をレンガの表面に塗った煉瓦のことをいいます。

また浮彫のある石板をオルトスタットと呼ばれています。

新バビロニアとは?

新バビロニアとはバビロニア文明がヒッタイトやアッシリアに支配された後に同じ地域で再び栄えた文明のことをいいます。

新バビロニアの中心都市がバビロンと呼ばれる都市です。

この都市は当時世界で最も整った都市であったと考えられています。

ペルシャとは?

ペルシャとは紀元前6世紀にイラン高原にはじまり、紀元前331年にアレクサンドロス大王に滅ぼされるまで西アジアを支配していた帝国です。

ペルシャで有名な建築物にペルセポリスがあります。日干し煉瓦でつくられていたため、現在建物はほとんど残っていませんが石材でつくられていた柱などは残っています。

ペルセポリスの中枢部分に「百柱殿」という玉座室がありました。

この空間には高さ12.83mの円柱が10×10の合計100本立っています。上述のように円柱は石材でできていたので一部現在も残っています。

おわりに

今回は古代オリエントについて解説しました。

初めて聞くカタカナの単語も多いと思いますが何度も見返して徐々に覚えていってください!